【映画】さらば、愛の言葉よ

音楽・カルチャー

「言葉はもういらない」

ジャン=リュック・ゴダール監督初の3D映画ということで、これはぜひ映画館で観なければいけないと思い、一人で銀座シネスイッチに足を運びました。

自分自身、初めての3D映画観賞です。

 

20150211-21

(銀座シネスイッチに行ってきた)

評論家や音楽家が言葉を並び立ててこの映画を称賛していますが、正直、僕には一度見ただけではすべてを理解することができませんでした。一度観て、その面白さを理解できたなら相当な感性の持ち主なのでしょう。

断片的に流れる音楽、鮮烈な色彩を放つ光景、そして溢れかえる言葉たち・・・しかし最後に僕の心に残ったのは美しい一匹の犬の姿だけでした。

 

(「さらば、愛の言葉よ」予告編)

個人的な見解で言うならこの映画は、犬の目を通して男女の出会いから別れまでを綴った映画、だと解釈しています(違っていたらゴメンナサイ)。

この映画を一度観ただけで100%理解することは本当に難しいです。たとえ事前にあらすじを読み込んでいたとしても。

終始語られる男女の会話は文学的であり、それは比喩なのか、実際の話なのか、その境すら分からず、頭で理解しようとしても簡単にはさせてはくれません。

しかし、もし自分が男女に寄り添う犬だったら、と考えた瞬間、全てがスッと腑に落ちた気がしました。

時に激しく、時に切なく交わされる言葉が何を示すのかわからずとも、また、その内容は2人にしか理解できないことであったとしても、犬には”感覚的”には伝わってきます。

そんな傍観者にならざるを得ない男女の会話の裏には、観客に対して犬からの目線で観ることを暗に仕向けるような意図さえ感じます。

また、3D撮影にはキヤノンのカメラ2台を駆使して撮影されたそうですが、アングルは全体的に低めで、もし自分の解釈が正しければ、ここでも犬目線を意識したものではないかと思います。

時に左と右のカメラが別の被写体を捉え、再び戻り、ノイズ交じりの音楽ストップ&ゴーを繰り返す。それから会話の残像とフェードイン・・・。

現実と非現実を自由に出入りする感覚。頭で理解しようとせず、絵画を鑑賞するように、ありのままを受け入れる方が賢明なのかもしれません。

 

20150211-22

(登場人物は男と女と、そして犬)

これから観賞される方にはとにかく事前にあらすじだけは頭に入れて行った方がいいと思います(公式サイトはこちら)。

1時間余りの映画を終えて、完全な消化不良を起こし、こうしてブログを書きながら、もう一度観たくなる、確かめたくなる、そんな衝動に駆られています。

最後の赤ちゃんの泣き声は何を示すものか、自分の中で腑に落ちる答えは再び映画館に赴く先にあるのでしょうね。帰り掛け、係員さんに「3Dメガネは次回のためにお持ち帰りください」と言われたのはきっとそのためだったのかな?

2人の世界に入り込むことの許されないもどかしさ。傍観者の目線で描かれる美しく鮮烈な愛憎劇。

僕が言うのはおこがましいですが、ゴダール監督85歳にしてこの意欲作、観る側も覚悟を持って鑑賞されたし、です。

(追伸:最後に劇中のファッションに関して。裸にまるでガウンをまとうのように羽織るトレンチコートやハット、とにかくカッコイイの一言に尽きます。)

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