【本】なぜ、それを買わずにはいられないのか ブランド仕掛人の告白

ファッション

20130406-03

「ブランドネームを見るたびにそのブランドの背景が浮かび上がり、商品の良し悪しよりネームバリューでモノを買う。確かにブランド名を冠した商品だけに粗悪なものはないと考えられなくもないが、それにしても人はブランドという看板をあまりに信頼しすぎている感がある。

振り返るに、人はブランド品を手にすることで、相応の質や価値、自分の思い描く他人からの(期待以上の)評価、そして根拠のない安心感、これら付加価値に対する対価を「ブランド」とう存在に対して支払っているのだろう。

ブランドの背景を知りたがるのはそのブランドにより共感し、自分と重ね合わせたい。さらにその先には、自分に対する評価ではなく、「ブランド品を身につける(愛用する)自分」に対する周囲の評価を求めている。

熱狂的に欲し、手にしたブランド品を前にふと我に返り、まるで魔法が解けたかのようにこう思う。「このブランドの真の価値とは・・・?」 そしてより踏み込んで問う。「ブランド無しの自分は人にどう写っているのか・・・?」

もし自分が今無人島に独り残されたとしたら・・・、きっとすぐにブランド品を脱ぎ捨て、より機能的、より実用的なモノを求めることだろう。しかし、多かれ少なかれ人と接触して生きている限り、誰もが(差こそあれ)他人との差別化が必要であり、ブランド品を脱ぎ捨てるような愚かな行為はしない。自己主張や権力の証明など、それらを手っ取り早く示すにはブランド品の謎めいた価値を利用するはずだから。

では、自分という個性を失わず、ブランド品の価値に取り込まれないで上手に付き合う方法はないだろうか・・・?わからない。ただし、周りを見渡せば、芯が通ってぶれない人がブランド品を身につけていても、それはその人の個性にあり、価値になり、強いてはブランド品を消化したその人の「ブランド」と化す。そんな気がしないか?

それならば、ブランド品との距離感に対し神経質になるのではなく、何を身につけても迎合しない人間性の確立こそがブランド品を身につける上で大切なのではないだろうか。ブランド品を昇華されられるかどうかはまさに自分次第、そんな答えに行きついた。

人は、相手がぶれないモノを持つ人物とわかると、ブランドに似た特別な存在と理解する。逆を言うなら、特徴がない人と接した時、人はおそらく中身でなく外見上の特徴でまず人を判断する。それはブランド品の印象で括るのがなによりも簡単に、容易く分類するためだ。そうして括らざるを得ない人もいるし、またそういう人ほどブランドを通して過大視されることを欲する。

そう考えると双方にとって都合がいい関係を仲立ちするの「ブランド」という存在は案外悪いものではない。それを利用して恩恵に預かる人もいるし、ブランドだってそれ相応の評価されるべき質を兼ね揃えての今があるのだから。アンチブランドを唱える前に、ぶれない自己確立、つまりは自分という「ブランド」の確立がブランド品を身につけても埋もれない唯一の方法なのではないだろうか?」

 

・・・とまぁ本の内容からはずいぶん飛躍しましたが、なかなか考えさせられる面白い内容でした。

それではまた。

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