【映画】家族を想うとき

音楽・カルチャー

ケン・ローチ監督の「家族を想うとき」、昨年末から観なければ、と思いながらあっという間に1月も終わりに近づいてしまい、終幕も近いのではないかと慌てて鑑賞してきました。

イギリス、ニューカッスルに住むある家族。ターナー家の父リッキーはマイホーム購入の夢をかなえるために、フランチャイズの宅配ドライバーとして独立を決意。「勝つのも負けるのもすべて自分次第。できるか?」と本部のマロニーにあおられて「ああ、長い間、こんなチャンスを待っていた」と答えるが、どこか不安を隠し切れない。

母のアビーはパートタイムの介護福祉士として、時間外まで1日中働いている。リッキーがフランチャイズの配送事業を始めるには、アビーの車を売って資本にする以外に資金はなかった。遠く離れたお年寄りの家へも通うアビーには車が必要だったが1日14時間週6日、2年も働けば夫婦の夢のマイホームが買えるというリッキーの言葉に折れるのだった。

介護先へバスで通うことになったアビーは、長い移動時間のせいでますます家にいる時間がなくなっていく。16歳の息子セブと12歳の娘のライザ・ジェーンとのコミュニケーションも、留守番電話のメッセージで一方的に語りかけるばかり。家族を幸せにするはずの仕事が家族との時間を奪っていき、子供たちは寂しい想いを募らせてゆく。そんな中、リッキーがある事件に巻き込まれてしまう──。

映画「家族を想うとき」公式サイトより

家族のために2年間後にはマイホームを、と意気込んでいたはずなのに、働けば働くほど大切な家族との間に亀裂が生じ、大きな溝になっていき、次第にどんどん悪い方向へと流されはじめる負の循環。

あらゆる犠牲を経て家族が再び一つになりかけたのに、お互いが皆家族を一番に思っているがゆえに最後までかみ合わない家族同士のジレンマは、傷口をえぐるように痛々しく、切なさで心が満たされました。

明るい未来を夢見て今を犠牲にしている、今の連続が未来に続いているはずなのに。本人たちにもそれをわかっていているはずなのに、今に精いっぱいで抜け出す術が見出せずにラットレースを走り続けてしまう。

家族を持つ身として、終始身につまされる思いで観ていました。お金や家などとトレードオフの関係にある時間やかけがえのない家族のこと。幸せの本質について改めて考えさせられる100分間でした。

【関連する記事のご紹介】

« »

ランキングに参加中。ポチッと応援、お願いします!
deco.blog.with2.net ブログランキング・にほんブログ村へ

【コメントの投稿の仕方について】

  当サイトでは「Disqus」と呼ばれるコメント機能を使っております。
  ツイッターやフェイスブックなどでアカウントをお持ちの方は、ログインすることで
  自分の各プロフィールのままコメントすることができます。
  各種アカウントのない方もEmailアドレスさえ入力すればコメントが可能です。
  (入力したEmailアドレスはコメント投稿には表示されませんのでご安心ください。)
  また、コメント欄には画像を張ることも可能です。
  何度も「Reload」が表示される場合は、キャッシュを削除すると表示されることがあります。
  コメントが反映されるまで多少お時間が掛かることがございます。ご了承ください。