【引っ越しました】モノの価値の再考、デジタル化の促進、所有しないこと、キャンピングカーの夢
すっかりご無沙汰をしております。ブログもSNSもしばらく放置をしておりました。少々くたびれておりますが、コロナにかかることもなく元気に生きております(苦笑)。
長男が小学生に進学するにタイミングで引っ越しを決め、年明けからずっとその準備に追われておりましたが、2月末にようやく借りていた物件の明け渡しが完了しました。
今はとにかく転居先に荷物を詰め込んだ、といった状態で、しばらくは片付けに追われる日々が続きますが、雑多な荷物に囲まれながらもネットワークも回復し、何とか日常生活を送れる程度には整いつつあります。
引っ越しを舐めていたわけではありませんが、ホントしんどくて「もう二度とやりたくないな」と。
ケチって自家用車で運べない大型の家財のみを業者に依頼したのもいけなかったのですが、せっせと荷造りしては車で何十往復しても一向に終わる気配がなく、退去日までに間に合うのかという不安とプレッシャーで精神的にもキツイものがありました。
子どもたちにも休日にも関わらず、かなり我慢を強いてしまい、悪いことをしたなぁと。
結婚当時から10年以上お世話になった住まいとも別れを惜しむ余裕なんてなく、飛び出すように退去したことが悔やまれます。
引っ越しはたとえ費用が嵩んだとしても業者に全て任せてしまった方が、体力的にも時間的にも精神的にもよっぽど良かったと思えて仕方がありません。
さて、これまでもモノの数は抑えてきたはずなのに、十年も経てば当時は必要だったモノも不要となり、知らず知らずのうちに溜まっていくようで、今はモノを減らす作業に追われています。
洋服や靴はさほど無いですが、主に書籍やCDなど、読まない、聴かないモノで部屋中山積み。もうね、古いモノはデジタル化されていませんでしたので仕方がないですが、今の時代、電子書籍や電子コミック、音楽のダウンロード配信がなんと有難いことか。
「いつか読み返すだろう」と押入れの奥にしまっていたシミだらけの本を眺めてため息が出ます。大事にしていたはずのモノを結局あの手この手で処分する中で、「モノの価値ってなんだろう」と改めて考えてしまいます。
「いつか使うだろう」は結局使わない。機会があっても一度か二度が関の山。モノを所有しているだけで何だか自分の知識になったなどと錯覚しがちですし。結局こうして手放すことになると、モノを買うことにも消極的になりますね。
使わないモノはいくら高価でもモノとして与えられた本来の価値を発揮していない時点で無価値。それに、実際に使うシーンが出てきてもベストな選択肢ではなく、どうしても間に合わせ感が出てしまう。だったら必要な時にまた買い直せば良いと、あらかた処分することにしました。
使う予定がないモノに囲まれている状態に居心地の悪さを感じながら、週末のたびにリユースショップやフリマサイトでせっせとモノを処分しています。
問題は思い出の価値の測り方ですね。すごく難しい。
とりあえず、写真や卒業アルバムなどはずっと前に節目写真館で全部デジタル化していましたので、この際アルバムも全て処分しました。
昔のバンドのライブビデオはテープもカビてしまい、自力でのデジタル化は断念して今回業者に依頼しました。作ったCDは10枚くらい残して全部処分しました(欲しい方がいたら差し上げます)。
練習の時に録ったMDやカセットテープはどうする?・・・問題はまだまだ尽きません。
最近では遊牧民みたいな生活に憧れます。いまだにマイホーム志向は無いままですが、将来キャンピングカーだけは欲しいな、と夢を描くようになりました。夜な夜なお酒を飲みながらYouTubeでキャンピングカーの動画を眺める日々。
そんなこんなで、3月以降平穏な日常を取り戻してきたら少しずつブログの更新も再開していこうと思います。
取り急ぎ近況報告まで。
2022年3月4日