そしてスタイルが確立されていく

つぶやき

それは思いと経験が蓄積された「資産」なのだと思う

「おかげさまで」と言うべきか、今のところ新たな靴への欲求は未体験のビスポークを除いては納まり、履いては都度手入れをすることが目下の楽しみ・・・だなんて、我ながら素敵じゃないか。とてもいい傾向だなぁと独り言ちる今日この頃。

革靴は30代前半までに散々無理をして購入してきましたが、最近になってそう簡単に手が出せなくなったことを考えると、若い頃に買い揃えておいて良かったと思うと同時に、現在手元にある靴がこれからの人生においても(多少の入れ替えこそあれ)ほぼそのまま自分の足を支え続けていく、そう思うと感慨深いものがあります。

今や自分の趣味だけでなく家族の将来を考えていればならなくなった現在、高価なモノをおいそれと買えない状況が訪れたこの瞬間、今こうして手元に残っているモノがこれからの自分のスタイルを形成していくのだろうと思えてなりません。

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以下はとても私的で偏った考えかもしれません。ただ、時計や革靴、革鞄など、どちらかと言えば脇役とも言える装飾具がしかし、使うほどに味わいが増し、簡単に買い換えられないモノこそが、いずれ新たなモノ選びの基準となっていき、ひいてはその人らしさ、スタイルになっていくのではないかと自分には思えるのです。

独身時代から散々っぱら散財を重ね、買っては時に失敗したり、手放したり・・・を繰り返しながら、しかしそれらの経験を踏まえてもなお、今こうして手元に残っているモノに対しては、多くの時間と思いを注ぎ込んできた「資産」であると感じています。

自ら選択し、お金と時間を注ぎ、手を施したり悩んだり・・・。実際に経験したことでしか広げることのできない自分のキャパシティ。自分の経験なんぞ高が知れてはいるけれど、こうして大好きなアイテムたちを見渡せば、これまで自分なりに納得のいく経験と、視野・領域を広げることができたのではないかと思っています。

「憧れ」と「模倣」と「散財」、それらを繰り返し、その中から自分なりに取捨選択してきた経験の集約がこうして手元に形として残っている。時に新鮮さを求めて目新しいモノへの衝動に駆られるけれど、靴を磨けば、時計のネジを巻けば、やっぱりまたここに戻ってくる。そんなモノたちのおかげでこうして心穏やかに安心感を得ることができる。

昔とはだいぶ環境も変わったし、私の思考も幾分年老いたのかもしれないけれど、過去の経験が形として残るモノを、今日もこうして手入れをしながらふっとそんな思いに至ったりして。モノを通じて得たかけがえのない経験や出会い、興奮や恍惚、失敗や苦悩、何よりこれまでの巡り会わせによる幸運を、今改めて強く噛み締めています。

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