仕事の時間、家族との時間、自分の時間

「自分の時間をどう作るか」問題
仕事、家族、そして自分、いずれを優先させ過ぎてもうまくいかない。時間の使い方の話です。
人に与えられた時間は1日24時間で、今はその時間をなるべく仕事と家族に時間を割きたいけれど、自分は公人ではないので、自分のことに時間を使いたい時もあれば、日常的に処理になければならないことだってあります。
普段は自分以外の時間を優先するため、「今日はこれをやろう」と計画は予め立てないようにしていますが(計画通りに事が進まないとストレスが溜まるだけなので)、やることは溜まる一方なので、焦りばかりが募ります。
どうしても何かをやりたい時に限って子どもに手を焼き、つい怒鳴ってしまうこともあるし、怒ってみたところで逆にエスカレートさせてしまうこともあって、いけないとわかっていても、カッとなって手を上げてしまうことも。
(完全に自分が悪いので、いつも自己嫌悪に陥るのですが、そんな自分に寄ってきてギュッと抱きしめ、慰めようとしてくれる子どものやさしさに毎回救われています。)
全ては自分の余裕の無さからくるもの。「お金」「体力」「時間」の3つの余裕。中でも今の自分には「時間」がない、全然。
これまでずっと考えてきた問題ですが、結局のところ仕事や家族との時間を削らずに自分の時間を作るには、すき間時間を無駄なく効率的に使うしかないだろう、という至極ありふれた結論に達しました。
そんなわけで、先日のMacBook Airの購入も大きな理由の1つですし、常にやるべきことはToDoリストにそれぞれの所要時間を添えて管理しており、突発的に空いた時間をその長さに応じてすぐに着手できるようにもしています。

ただ、すき間時間の効率活用でも、生み出せる余裕はやはり限界があります。無駄な時間を作るまいと常に緊張状態が続き、実質休む時間が無くなるわけで、これでは体力的にも精神的に消耗してしまいますから。
「お金」「体力」「時間」の3つの余裕とリバランス
「お金」「体力」「時間」の3つの余裕が心の余裕につながるし、逆にどれかが極端に多過ぎても、少な過ぎてもダメなんだと思います。そして最近では、多いところから少ないところへ、余裕のバランスの調整(リバランス)が必要なのだ、とも。
若い頃は「お金」も「時間」もないけど「体力」だけはある状況で、多少の無茶はできましたが、今は寝ないでやりたいことを全部やる「体力」もなければ、そんな無茶をする年齢でもなくなった今、他の余裕を使って補うべきなのかもしれません。
つまりは、「お金」を使って、道具や人、サービスを活用し、今まで以上に別の他人に任せるべきなのかもしれないと思うようになりました。「時間」も「体力」も減ってきた(余裕がなくなくなってきた)一方で、かろうじて多少の余裕があるのが「お金」だから。
自分で全てを管理したがるところや、手元に残らない消費にお金を使うことに抵抗のある貧乏性な性格は簡単には直らないけれど、もうそろそろ考え方や価値観を見直す時期を迎えているように思います。
これまではモノ選びが中心だった自分の生活から、これからはより良いサービス、より良い道具を見つけ、信頼できる人(技術者や職人)を見つけて任せることが、今後、自分や家族の生活を豊かにするためのテーマになるような気がしています。
2018年2月5日