子どもの履き古された靴を見て、道具としての価値を思う
「歩くたびに光る靴なんて、子どもの購買欲を掻き立てるだけなんでしょ」
・・・なんて思っていたんです。Skecher’s(スケッチャーズ)のS-LIGHTSに最初に抱いていた印象です。履き心地などは二の次なんだと勝手に決めつけている自分がいて。
でも、ハルに言わせるとすごく履きやすいそうで、ずっと同じ靴ばかり履くものだからアウトソールは擦り減り、ツルツル、つま先や靴の中もボロボロに。
しかし、これは靴に与えられた本来の役割である “走る”、”保護する”という機能を全うした姿なのだと感じ、正しいくたびれ方をしているように思えて、むしろ羨ましかったりして。
1足目を購入した当時も「かなり軽くて思いの外履きやすそう」なんて書きましたが、その印象は子どもの中で最後まで変わることなく半年でこの姿。バグは出始めているもののランプも未だに光っていることは驚きで。
「そんなに気に入っているならもう1足買えば?」とハーフサイズ上げてもう1足購入しました。前回はグリーンでしたが、今回はブラックにしました。
これで酷使し続けた1足目のS-LIGHTSを引退させてやることができます。もう履くことはないけれど、これまでの労に感謝するよう本人にきれいに洗わせてシューズボックスにしまいました。
モノを大事にすることとは消耗しないようにおっかなびっくり使うことではなく、本来の機能を最大限に使い、正しく消耗させてあげること。そしてその恩恵を1日でも長く享受できるよう手入れをすることなのだと思います。
履き古された靴を見て「きっとこの靴も本懐を遂げて満足しているのでは」と思えるのです。その恩恵は子どもの成長に存分に生かされているはずです。
TAGS: skechers | 2021年7月21日